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溢れる想い note to self ✨

少女期 #4 〜中学時代

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早熟だったのか、ぽっちゃりニキビ面も少し落ち着き、背の順も後ろの方だったのが、何なら前から数えた方が早いくらいみんなに抜かされていく。

そしてこの頃、元々持ち合わせたおちゃらけた芸人気質みたいなものが炸裂する。

クラスのみんなを笑わす事に命をかけた。笑

面白い発言はもちろん、授業中に掃除道具入れ場に隠れたりと、ひと笑い欲しさに暴挙に出た。

友達も、陽キャな人が増えた。今の自分からは想像もできない、アグレッシブ期だった。

 

中1の英語の先生が、波長の合う面白い人で、この先生のお陰で、唯一好きな教科ができ、後に叶うアメリカ留学に導いてくれたんだと思う。感謝。

 

背も高くないし、運動も得意ではなかっけど、仲の良い友達が数人入部するからという理由だけで、バレー部に入部。朝練もあるし、レギュラーにもなれないし、全く楽しくない。しかも、激しい運動をすると、2回に1回くらい蕁麻疹が出た。

自分の意志をしっかり持たなかった事を深く深く反省した。

幼少期 #3 〜小学校高学年

2年生の時の入院をきっかけにぽっちゃり気味になり始めた私。しかも、5年生くらいから、めっちゃニキビに悩まされる。高学年にもなると女子はお年頃なので、自身のルックスに絶望する。

なんとなく、スクールカーストみたいなものの下層に位置してるんだろうと察してはいた。

でもでも、性格はB型のお陰か明るい方で、クラスの女子とは仲良くやれていた。学校に行きたくないなんて思ったことはなかった。

6年生になり、なんと、初の学級委員に!まあ、担任の先生が気を使って推薦してくれたような感じだったが、運動会の旗持ちや応援団、絵画と読書感想文で賞を貰うという、今思えば人生のピークだったのかもしれない。

話は前後するが、4年生の時の担任に何故か良く思われておらず、いつも、女のくせに男勝りだとか、女のくせに忘れ物が多いとか、何かと女性蔑視の高齢ジジイだった。ジジイなので、露骨にルックスの事もイジってきた。

あまりにモラハラ発言が多かったので、ある時、ジジイの発言が少し性格に偏りがある、でも知的好奇心は誰にも負けないとある男子の逆鱗に触れ、体育の水泳の時間、とある男子がジジイを思いっきりプールに落とした。

それまで、特段否定されることもなく生きてきたが、その時初めて他人から否定されたと感じた。

 

 

幼少期 #2 〜小学校低学年

小学校入学を機に、戸建てを購入し、やや郊外に引越しした。

親としては、最善の選択だと思うが、小学校入学を機に引越しした家の子あるあるで、入学式に誰一人、知り合いがいないと言う事。

まして、やや田舎の小学校なので、その街の幼稚園、保育園から上がってくる子がほとんど。

今だったら、とんでもない疎外感に苛まれるところだが、その頃は前述のとおり、空気読めない系のポジティブ女子だったので、自ら話しかけて、初日に2人友達ができたらしい✨

 

あと、何故か、男の子みたい?に育てられた。スカートはあまり履かせてもらえず、髪型もだいたいショート。知らない人には、「ぼくはいくつ?」など男子に間違えられることも何度かあった。色も自分で言ったのか言わされたのか、緑色が好きだったらしい。

その反動なのか、今はピンクと紫を異常に好む。

 

小学2年生の時に、風邪をこじらせ肺炎になり、1週間入院した。その時、クラスのみんなから激励のお手紙をもらったのだか、一人の男の子からもらった手紙に、もう死ぬのですか?って書いてあり、何か元気が出たのを覚えてる。

で、その時の薬か点滴のせいだと思っているが、体質が変わり、ややぽっちゃりになり始めた。

 

幼少期 #1

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私は一人っ子。

とても寒い冬の日に生まれた。

両親は宮崎出身で、お見合いで知り合った2人は結婚した後、集団就職のような形で、名古屋にやってきた。

それはさておき、一人っ子故に、一応何一つ不自由なく育ったと思っている。欲しいものは買ってもらえたし、食べたいものは独り占め。

それが後に、「足かせ」になるとは想像できるわけがない。

小学校に入学するまでら、市営住宅に住んでいた。

そこで覚えてる事といえば、意地悪なおばさんがいて、みんなで遊んでいると、私だけ住宅の階段の下に呼び出されて、今日もうるさかったね。明日からはうるさくしないよね?みたいな説教をされた。何故か私だけ。

それと、片腕のない男の人が、いつもわらび餅を売りに来てて、それを買うのが楽しみだった。

強烈に覚えてるのはその2つ。

あと、今じゃ考えられないけど、他人のうちに上がり込んで、ご飯をご馳走になってたり、1人でバスね終点まで行っちゃったり、デパートで迷子になるのはしょっちゅうだったらしい!

今だったら大問題な気もするが、その時代のせいか、我が家ではそこまでのニュースではなかったっぽい。

その他は… 今思うと、可もなく不可もない?日々だったように記憶してる。というか、さすがにぼんやりとしか覚えてない。